東京地方裁判所 昭和27年(ワ)4619号 判決 1954年5月29日
原告 和田梅吉
右代理人 村中清市
被告 小野孝行
<外三名>
右代理人 黒木盈
主文
被告らは連帯して原告に対し金三十五万円及びこれに対する昭和二十七年七月二十六日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
この判決は第一項に限り原告において被告らに対しそれぞれ金五万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一、申立
原告の申立―「被告らは連帯して原告に対し金三十五万円及びこれに対する昭和二十七年七月二十六日から支払ずみまで年六分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求める。
被告らの申立―「原告の請求を棄却する。」との判決を求める。
第二、当事者間に争のない事実
被告ら四名は訴外畔柳好一、富沢定、栗原長四郎の三名とともに訴外タイガータクシー株式会社(以下「訴外会社」という。)の発起人となり、昭和二十六年七月六日その創立総会を終了し同月七日設立登記をした。訴外会社は一般貸切自動車運送事業を目的とし資本金六百万円、一株の額面金額五百円、株式総数一万二千株で、設立の際、被告小野が六千株を、被告沢田が千株を、被告木村、被告本多が各六百株を、他の三名の発起人が計千八百株を、それぞれ引き受け、残り二千株は公募することとした。そして同年七月六日発起人らは、発起人総代の被告小野名義で株式会社富士銀行本所支店に対し、訴外会社の株式払込書として金六百万円の保管を委託したが、同月十一日には金六百万円は、同銀行から引き出された。
第三、争点
原告の主張
一、商法第百九十二条第二項に基く被告らの株金払込義務に対する代位請求。
(一)訴外会社の設立に際してされた前記金六百万円の払込は、実は全然仮装の払込である。すなわち、被告ら発起人は、これよりさき発起人総代である被告小野が理事長に就任している訴外中央信用金庫から、被告沢田、同本多及び訴外畔柳名義で金五百万円を借り受け、これを即時同金庫に預金したことにして金五百万円の預金名義をつくり、更にこの預金を引当てとして同年七月六日同金庫から金六百万円を借り受けたことにして金六百万円の払出をうけ、これを前記のように払込金として富士銀行本所支店に保管を委託したのである。しかも、前記のように、設立登記完了後僅か数日後にこれをすべて引き出し、直ちに前記借入金の返済と称してこれを中央信用金庫に返金したのであつて、結局訴外会社には設立当初から何らの資産もない状態であつた。被告らはこの状態をごまかすために株主全員が会社の資金をすべて借り受けたなどと称してつじつまを合せようとしているのである。かような経過から見れば前記払込手続は、被告ら発起人が払込資金がないにもかかわらず会社設立の形式をととのえるため表面払込を装つた仮装の行為に過ぎず、払込としての効力をもたないことは明白である。従つて訴外会社の設立に際しては、その全株式についてまだ事実の払込がされていないこととなるから被告らは商法第百九十二条第二項に基き訴外会社に対して発起人として連帯して株金六百万円の払込をする義務がある。
(二)ところで、訴外会社は昭和二十七年一月十二日、原告に宛て金額金三十五万円、満期同年二月十日、支払場所永代信用組合、支払地東京都江東区、振出地東京都墨田区と定めた約束手形一通を振り出し、原告はその所持人であつたが、その後訴外会社から満期日に手形金の支払ができない旨予め申出があつたので、原告と訴外会社の間であらためて同年三月二十六日付でこの手形債務につき、返済期日を同年四月十日とし、訴外会社が期日に債務を弁済しないときは、訴外会社の所有する一九三七年式箱型シボレー自動車車台番号五一三二九号原動機番号TR八七一五一〇号の所有権を代物弁済として原告に移転すること等を定めた債務弁済契約を結んだ。
ところが訴外会社は、右返済期日を過ぎても、債務を履行しないので、原告は同年四月十五日訴外会社に対し前記自動車の所有権を代物弁済として取得する旨通知したが、訴外会社は実際には一台の自動車も所有せず、自動車はすべて他から賃借して営業しているような状態で、前記自動車についても訴外会社の所有でなかつたために、結局原告はその所有権を取得することができなかつた。しかも訴外会社は当時資産金百五十九万三百五十円、負債金千百三万九千四百九十五円であつて、著しい債務超過の状態に陥つており、現在も原告に対する前記債務を履行する資力を全く欠く状態にある。
(三)よつて原告は訴外会社に対する前記三十五万円の債権を保全するため、訴外会社に代位して、被告らが発起人として訴外会社に対し負担する前記株金払込義務のうち金三十五万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和二十七年七月二十六日から支払ずみまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。
二、商法第百九十三条第二項に基く損害賠償の請求。
(一)仮に被告らが商法第百九十二条第二項に基く義務を負わないとしても、被告らは発起人として訴外会社の設立に関し、その任務を怠り、原告に損害を被らせたから、これを賠償すべき義務がある。すなわち、被告らは発起人として訴外会社の設立に際し、適法に払込手続を完了させる義務があるのにかかわらず、前記のように全く仮装の払込によつて設立手続をしたことは発起人として悪意をもつてその任務を怠つたものといわなければならない。しかも被告らがこのような仮装の払込をしたため、前にも述べたように、訴外会社には現実に何らの資産がない状態となり、結局甚しい債務超過の状態に陥つたのであつて、原告の訴外会社に対する前記金三十五万円の債権も、これにによつてその履行を得ることができなくなつたのである。
(二)、従つて、原告は被告らの義務違反によつて債権額に相当する金三十五万円の損害を被つたわけであるから、商法第百九十三条第二項に基き、被告らに対し、連帯して金三十五万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和二十七年七月二十六日から支払ずみまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。
被告らの主張
一、原告の一、の主張に対して。
訴外会社の設立に際してされた株金の払込が仮装であること、訴外会社が原告に対し、その主張のような手形を振り出し、その債務について弁済契約を結んだことは、いずれも否認する。その他の原告主張事実は知らない。
(一)訴外会社の設立に際しては適法に現実の払込が行われたのであつて、決して仮装の払込ではない。すなわち、被告ら発起人は、昭和二十六年二月九日発起人総代である被告小野名義で中央信用金庫に金五百万円を預金し同年七月六日この預金を引当として同金庫から金六百万円を借り受け、同日これを払込金として富士銀行本所支店に保管を託したのである。そして同月十四日には同銀行から金六百万円の払戻をうけ、これを中央信用金庫に支払つて前記借受金を返済したので結局訴外会社の資産としては前記被告小野名義の金五百万円の預金が残ることとなつた。なお、この金五百万円の預金については、その後同年八月二十四日訴外会社が中央信用金庫から払戻をうけて、株主全員に各自の所有株式と同額宛貸し付け、同年九月十三日には、被告沢田、木村、本多及び訴外富沢、畔柳が共同して、被告小野の所有株式全部を譲り受け、同日更に訴外畔柳が富沢の所有株式以外の株式全部を譲り受け、更に同日富沢、畔柳及び訴外中沢辰雄の三名の間で畔柳の譲り受けた株式全部と富沢所有の株式とを合計した訴外会社の株式全部を以上三名で四千株宛分割所有することとし、これらの株式の譲渡に当つては、従前の株式所有者がそれぞれその所有株式に応じて会社に対し負担する前記借入金債務を順次引き受けたので、結局畔柳、富沢、中沢の三名が会社に対し各所有株式四千株の額面と同額の借入金債務を負担することとなつた。そして、畔柳は同年十月二十四日から昭和二十七年五月九日迄の間にその所有の四千株に対応する借入金債務金二百万円を全部訴外会社に弁済し、他の二名はいずれもその債務を弁済することなく、その所有株式を訴外及川清二に売り渡した。
以上のようなしだいであつて、被告ら発起人は、設立にさきだち中央信用金庫に金五百万円の預金を有し、これに基いて借り入れた金六百万円の株金を現実に払い込んだもので、この払込金を引き出した後も金五百万円が預金又は債権のかたちで会社の資産として存在していたのであるから、決して原告のいうような仮装の払込ではない。従つて被告らには原告主張のように訴外会社に対し、株金の払込をする義務はない。
(二)つぎに、原告の主張する手形債務は、訴外会社の債務ではなく、訴外会社の取締役であつた訴外富沢定が、会社の手形を振り出す権限がないにもかかわらず、勝手に訴外会社名義の約束手形を原告に宛てて振り出したもので、訴外会社がこの手形金債務を原告に対し負担すべき理由はない。
よつて、いずれの点から見ても原告の主張は理由がない。
二、原告の二の主張について。
(一)前記のように、訴外会社は、原告に対し、その主張のような債務を負わないばかりでなく、被告らのした払込は決して仮装の払込ではなく、従つて原告の主張するように発起人として悪意をもつて任務を怠つたような事実は全くないのであるから、原告の主張は理由がない。
(二)また、仮に原告が訴外会社に対しその主張のような債権を有し、かつその履行が不可能となつたとしても、それは、専ら、設立後の訴外会社の経営不振によるものであつて、被告らが発起人として会社の設立に関してした行為との間にはなんら因果関係がないのであるから、被告らが原告の被つた損害について賠償の責任を負うべき理由はない。
第四、証拠
原告―甲第一号証から第六号証まで(そのうち第四号証は一から十四まで、第六号証は一、二)。
証人富沢定、塚本国芳の各証言、及び原告本人尋問の結果。
乙第三号証の一から三まで、第四号証の八及び十の各成立を認める。その他の乙号各証の成立は知らない。なお乙第七号証は、真正に成立したものである。
被告―乙第一号証から第八号証まで、(そのうち、第三号証は一から三まで、第四号証は一から二十六まで、)。なお乙第七号証は訴外富沢定が偽造した文書である。
証人畔柳好一、富沢定、中沢辰雄の各証言及び被告小野孝行本人尋問の結果。
甲第一、二号証の成立は否認する。第三号証、第四号証の一から十四までの成立は知らない。その他の甲号各証の成立は認める。
第五、判断
一、原告主張の一の点について判断する。
(一)まず、本件株金の六百万円の払込が仮装であるかどうかについて考えよう。
証人富沢定、畔柳好一の各証言と被告本人小野孝行尋問の結果の一部とを総合すると、つぎの事実を認めることができる。
被告ら発起人は、訴外会社を設立するに際して株金払込の資金をもたなかつたので、昭和二十六年二月頃発起人総代の被告小野が理事長をしている中央信用金庫から金五百万円を借り受けると同時に、絶対に払戻をうけないという約束で金五百万円をそのまま同金庫に預金するというかたちで、いわゆる借り預けの方法によつて、現実には、なんらの資金を動かさないで、同金庫に金五百万円の預金名義を設けた。そして同年七月六日この預金を引当てとして金六百万円を同金庫から借り受けたことにして金六百万円の払出をうけ、直ちにこれを富士銀行本所支店に株式払込金として保管を委託し、これによつて設立登記を完了すると、その数日後の同月十一日には金六百万円を同銀行から引き出し、即日前記借入金の返済として中央信用金庫に返金した。その後同年八月には、訴外会社から各株主に貸与するため払い戻したことにして、前記金五百万円の中央信用金庫の預金名義をも消滅させた。このようにして、結局訴外会社の資産としては、前記金六百万円はもとより、金五百万円の預金名義も全く残らない状態となつた。(以上の事実のうち金六百万円の保管委託及びその引出の事実は当事者間に争がない。)
以上の認定に反する被告本人小野孝行の供述は到底信用することができず、他にこの認定をくつがえすに足りる証拠はない。
以上に認定した経過に照すと、被告ら発起人は実際には払込資金の用意がないにもかかわらず、表面上一時金員を移動させて払込があつたようによそおい、これによつて設立手続を完了しようとしたことが明かであつて、訴外会社の払込金として保管を委託された前記金六百万円は、いわゆる「見せ金」であり、原告主張のように全く仮装の払込にすぎないものと断ずるほかはない。被告らは、訴外会社の資金として前記金五百万円の預金が存在した以上、仮装の払込ではないと主張するけれども、以上に認定したところからすれば、この預金自体払込仮装の一手段として設けられた名目上の預金に過ぎないものと認められるから、この主張の採用できないことは多言を要しない。
このような仮装の払込は、法の定める資本充実の原則に反する明かな脱法行為であつて、これに払込としての効力を認めるわけにはいかない。けだし、かような払込を許容するときは、会社と取引関係に立つ善意の第三者に不測の損害を及ぼすおそれが非常に多いのであつて、法が払込の確実を保障するため種々の規定を設けていることから考えても、到底これに適法な払込としての効力を認めることはできないのである。そうすると、訴外会社は、その設立に際して株式の払込が全くなかつたことになるから、被告らは、商法第百九十二条第二項の規定により、発起人として連帯して訴外会社に対し金六百万円の株金の払込義務を負うものといわなければならない。
もつとも、このように設立に際して全株式について払込が欠けているときは、会社の設立無効の原因となることはもちろんであるが、かような事由があるからといつてこのような場合に発起人が払込責任を免れるものと解すべき理由はない。けだし、発起人の払込義務は既に確定した債務であつて、設立無効の判決が確定しても消滅しないことは疑のないところであるから、かような判決もなく会社が依然として存続している場合には、払込義務もまた存続することは当然のことといわなければならないからである。
(二)そこで、つぎに原告の訴外会社に対する債権の存否について考えよう。
証人富沢定、塚本国芳及び原告本人の各供述並びに以上の各供述を総合してその成立を認めることのできる甲第一、二号証、同第四号証の一から十四まで、及び証人富沢、塚本の各供述により真正に作成されたものと認められる乙第七号証を考えあわせると、つぎのように認めることができる。
訴外富沢定は訴外会社の設立当初から専務取締役に就任して会社の経営に当り、訴外会社の手形を振り出す権限も与えられていたが、昭和二十七年一月十二日訴外会社を代理して原告から金三十五万円を借り受け、その支払のために金額金三十五万円、満期同年二月十日その他の手形要件は原告主張どおりの、訴外会社の約束手形一通を原告に宛て振り出した。その後、富沢は訴外会社を代理して原告との間にこの手形債務につき、返済期を昭和二十七年四月十日とし、期日に弁済しないときは、原告は、原告主張の、訴外会社所有の自動車の所有権を代物弁済として取得することができること等を定めた債務弁済契約を結び、訴外会社の代表取締役である畔柳の承認を得て同年三月二十六日付でその旨の公正証書を作成した。
以上の事実によれば、訴外会社は原告に対し、原告主張の債務を負担するものというべきであり、この認定に反する証人畔柳好一の証言は、前にかかげた証人富沢、塚本の各供述に照して採用することができず、他に以上の認定を左右するに足りる証拠はない。
更に成立に争のない甲第六号証の一、二、証人富沢定、畔柳好一の各証言及び同証言によつてその成立を認めることのできる甲第三号証を総合すれば、その後訴外会社は前記債務弁済契約に定められた期日に債務を弁済しないので、原告は同年四月十一日付書面で訴外会社に対し、同契約に基き、前記自動車の引渡を求めたが、この自動車が会社の所有でなかつたため、結局その所有権を取得することができなかつたこと、訴外会社は当時著しい経営不振に陥り、同年三月頃にはすでに資産約金二百十七万円に対し、負債約金千百万円に達するという甚しい債務超過の状態にあつたことが認められる。これらの事実からすれば、訴外会社は原告の前記手形債権を履行する資力を欠いていることが明かである。
二、してみれば、原告が前記手形債権を保全するため、その債権額の限度において、訴外会社に代位して、被告らが発起人として訴外会社に対し負担する前記払込義務の履行を求めることができることは当然であるから、原告の被告らに対して金二十五万円の連帯支払を求める本訴請求は、正当である。
なお、原告はこの払込金に対して年六分の割合による遅延損害金の支払を求めているが、商法第百九十二条に基く発起人の払込義務は、法の定める特別の義務であつて、これを商行為により生じた債務と解する根拠はないから、原告は民法所定の年五分の割合による遅延損害金を請求することができるにとどまるものといわなければならない。
第六、結論
よつて原告の本訴請求は被告らに対して金三十五万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和二十七年七月二十六日から支払ずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める範囲において正当であるから認容し、その他の部分は失当であるから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条第九十三条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 古関敏正 裁判官 田中盈 田辺公二)